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弥助が奴隷じゃなかった証拠

織田信長に仕えた黒人武士「弥助」の生涯とは?ネトフリのアニメ『Yasuke -ヤスケ-』のモデルに

↑の記事をよーく読んでみての感想。というか弥助が奴隷じゃなかった証拠。

 黒人を奴隷扱いしていたのは、宣教師の方では??

信長も黒人奴隷を見ることを望んでいたため、宣教師のオルガンティノが連れていったところ、信長はその色が生まれつきで、後から塗ったものでないことを信じようとせず、帯から上の着物を脱がせた>(ルイス・フロイスの報告「イエズス会の1581年の日本年報」)>

 宣教師が連れていた黒人奴隷って、ルイスフロイスが言ってるじゃん。
信長は単に黒人奴隷をみたかっただけ。

「信長様が、宣教師から進呈されて召し抱えたという、黒人を連れておられた。身は墨のようで、身長は6尺2分(約1メートル82センチ)。名は弥助という」(家忠日記)

これらを総合すると、オルガンティノが引き合わせた黒人奴隷を信長が召し抱えて武士となった。そして「弥助」という名前を付けられたと見られている。

 この記事を書いた人は、間違えています。

 召し抱える=武士になるじゃありません。

家来として雇ったって意味ですよ。

 家来の意味

家来(けらい)とは、主人に対する従者を意味する用語。 古くは公家の摂家や大臣家と礼儀見習いの殿上人との間で結んだ仮の主従関係である家礼(けれい)に由来するとも言われている。

 もう一つの意味は、武士の従者となったものも家来というみたいですがね。

 弥助は記事を読んでる限りじゃ、武士として扱われているようには感じません。

フロイスは「黒人奴隷は少し日本語が分かったので、信長は彼と話して飽きることがなかった。また、彼が力強く、芸も少しできたので、信長は多いに喜んで庇護し、人を付けて京都市中を歩き回らせたので、『信長は彼をトノ(武将)とするのでは』という声もあった」と振り返っている。

 ほらここでも、フロイスが言ってるじゃん。黒人奴隷って!要するに、イエズス会の方が、奴隷って認識なんですよ!

 つまり、信長が弥助を気に入ってるから、弥助を武将にするのでは?という噂が流れていただけであって、武将になったとは書いてません。

また、「信長公記」のうち、太田牛一の子孫に伝わった「尊経閣本」と呼ばれるバージョンでは、上記に続いて「黒人は信長様から家臣として召し抱えられて俸禄を得た。名前は弥助とされた。短刀と屋敷なども与えられた。時折、信長様の道具を運ばされた」

家臣の意味

その家の主君に仕える者、またはその家の者

 俸禄=給料

国やその一部の土地を所領にし、家臣を率いて勢力を持っている武士のことを大名と呼びます。


弥助は信長の死んだ後も、息子の織田信忠が籠もる二条城に駆けつけて刀を振るって奮戦したが、最終的に降伏したという。フロイスの報告を引こう。

巡察師(ヴァリニャーノのこと)が信長に送った黒人奴隷が、信長の死後、息子の家に行き、相当長い間、戦っていたところ、明智の家臣が近づいて「恐れることなくその刀を差し出せ」といったので、刀を渡した。

 家臣は、この黒人奴隷をどのように処分すべきか明智に尋ねたところ、「黒人奴隷は動物で何も知らず、また日本人でないため殺すのはやめて、インドのパードレ(司祭)の聖堂に置け」と言った>

 光秀の認識は、黒人奴隷。でも光秀が奴隷扱いしたわけではなく、元々の宣教師が奴隷扱いしていたからそういう認識になったってだけの話。奴隷扱いにした理由は、弥助を殺さないための理由。信長の家臣なのに、殺さなくてもいいのかと自分の(光秀)家臣から、聞かれるから奴隷と言っただけの話。

 教会へ送り届けているんだから、むしろ人道的です。

光秀は別に差別なんかしていませんよ。そういう風に言っておけば、弥助の命を助けられると思ったからそうしただけの話。

 フロイスの報告書を読めば、全部わかるじゃん。トーマス・ロックリー氏が言ってる事は、全部彼の妄想話だと思いますがね。あと、ゲーム会社(フランスだったか)は、時代考証がきちんとできていません。

 黒人奴隷日本起源説などと馬鹿げたことが出回っているのをなんで日本政府(外務省と文科省)は、きちんと対処しないんですか?

 あと、日本大学。
トーマスロックリー氏に対して、きちんと処罰していただきたい。教授としては、致命的にダメダメだと思いますがね。
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